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戸籍制度廃止論は「文系脳的な浅慮」だ──日本国家の根幹をなすハイアラキーデータベースの価値を見誤るな

近年、「戸籍制度は時代遅れだ」「マイナンバーで十分ではないか」といった声が、一部のメディアや論客から上がっている。特に、堀江貴文(ホリエモン)氏、古市憲寿氏、辛坊治郎氏といった著名人が、戸籍制度の全廃を主張している。

彼らの主張の根底には、プライバシー、人権、差別の観点がある。例えば、非嫡出子への差別の温床になる、在日外国人の通名や帰化履歴が残ることは人権侵害だ、というようなものだ。だが、これらは「個別事例に対する感情的な文系的発想」に過ぎず、国家制度全体の設計思想や技術的基盤という本質を見失っている。

戸籍は単なる紙ではない──明治以来続く国家の中枢データベース

日本の戸籍制度は、1872年の壬申戸籍に始まり、150年以上にわたり制度的・技術的に進化を遂げてきた。現在の戸籍は、単なる家族の構成を記録するだけの文書ではない。それは、国家の法的秩序と社会構造を支える「ハイアラキーデータベース」である。

  • 国籍の確定
  • 相続や扶養関係の証明
  • 婚姻・離婚・養子縁組など法的行為の根拠
  • 災害・事故時の身元確認や遺族対応
  • 帰化審査や不正取得防止のチェック機構

このように、戸籍は国民一人ひとりの「法的身分の根拠」を担保しつつ、世代を超えて接続されている。つまり、日本国家の存在と持続性を支える最も基本的な情報インフラであり、マイナンバー制度のような付加的な識別システムとは根本的に異なる次元の仕組みなのだ。

戸籍を失ったら何が起こるか?──他国の事例と比較せよ

「欧米には戸籍がない」と指摘する人もいるが、代わりに市民登録・国民ID・出生登録などの複数制度が補完的に存在している。しかし、それらは基本的に分散的かつ世代間の継続性が乏しい。

たとえば、米国では個人情報がバラバラに管理され、本人確認や相続などに弁護士が必須で、遺産相続にも莫大な時間とコストがかかる。韓国は戸籍制度を廃止したが、帰化人の出自管理が不可能になり、国籍や兵役に関するトラブルも起きている。

つまり、戸籍を手放せば、国家は自らの記憶を失うのだ。

戸籍批判論の危うさ──「システムを理解しない者たち」が制度を語る危険

戸籍制度を軽視・廃止しようとする動きは、「IT化」と「自由主義」の美名のもとに進められることが多い。しかし、戸籍の持つ階層的構造、連続性、法的効力といったシステム的な特性に目を向ける論者はほとんどいない。

堀江氏や古市氏らが唱えるような「時代遅れ」「使いにくい」「プライバシー侵害」といった議論は、一見もっともらしく聞こえるが、実態としては制度設計・法制度・情報インフラに対する無理解に基づくものだ。

これは、パソコンを分解したことのない者がOSを「遅いから捨てろ」と言っているようなものだ。

社会の根幹を成す制度には、浅薄な「感情論」ではなく、冷静な「構造論」「制度論」が求められる。

戸籍制度は、日本文明の記録である

保守とは、過去から現在、未来への「つながり」を重視する立場である。戸籍は、まさにこの「つながり」を文字通り体現してきた制度であり、家族の記録であり、血縁の証であり、日本文明の履歴書である。

制度を改善する余地はもちろんある。だが、それは全廃やリセットによる「破壊」ではなく、継承とアップデートによってなされるべきだ。

戸籍を捨てよと主張する者たちにこそ、問いたい。

あなたは、どのような国家の未来を描いているのか?

おーら
保守目線というより技術者目線で記事にしてみた。実はこのあたりは専門だしね。リレーショナルではなくハイアラキーが得意だった。昔から銀行のATMを高速に処理するためにも長期にわたって貢献してきた。戸籍も同じデータベース構造としてオーバラップする。宇宙開発に強い興味をお持ちのようだが所詮はホリエモンも文系的思考なんだろうな。イデオロギーというより一部の頭のお堅い文系では戸籍の価値が理解できないのかもしれん。
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