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都議選40人擁立の現実味ゼロ “再生の道”は早くも崩壊危機か

東京都知事選で小池百合子氏に敗れ、2位に終わった元安芸高田市長・石丸伸二氏が、勢いそのままに「都議選40人擁立」を打ち出した。しかし、冷静に現実を見れば、その“勢い”はSNSのバズに過ぎなかったことが、早くも露呈しつつある。

石丸氏が率いる政治団体「再生の道」は、最新の世論調査(複数報道機関)で政党支持率わずか2%前後。しかもその支持は、彼が得意とするSNS層ではなく、電話調査での高齢者層に偏っているという“奇妙な現象”も確認されている。

◆「反小池」「反蓮舫」の受け皿だっただけか

都知事選では190万票近くを獲得した石丸氏だが、その多くは積極的支持ではなく、対立候補への不満の受け皿に過ぎなかったという分析が支配的だ。小池氏や蓮舫氏に否定的な層が「第3の選択肢」として投じた票であり、石丸氏個人やその政策に対する支持ではない。

つまり、今回の得票は“ブーム”であり、持続可能な政治基盤とはほど遠い幻想だった可能性が高い。

◆政策もビジョンも「中身ゼロ」

石丸氏が掲げた「東京から日本を変える」「再生の道へ」などのキャッチフレーズは耳障りこそ良いが、その実態はほぼ空洞だ。都知事選期間中も、具体的な政策や予算裏付けに乏しく、「スローガン止まり」と批判を浴びた。

さらに、「再生の道」という政党名にしても、何をどう再生するのかは依然として不明。抽象論のまま都議選に突入する戦略では、票を得るのは極めて困難だ。

◆「安芸高田モデル」の限界

石丸氏は、広島県安芸高田市の市長としての改革姿勢で注目されたが、そもそも同市の人口は約2万8000人。これは多くの東京23区よりも小さく(区長以下)その経験が東京都政に通用するかは極めて疑わしい。

YouTubeでの“公開バトル”やパフォーマンス型政治は一部ネット層にウケたが、東京都政という現場では、感情よりも実務が問われる。

◆「ネットでバズる」=「選挙に勝てる」は幻想だった

石丸氏は「SNSの申し子」ともてはやされ、YouTubeでは連日100万再生超を記録したが、今回の世論調査では支持がむしろ高齢層に偏るという皮肉な結果に。

SNSでの支持と、投票行動に結びつく“地上戦”には大きな乖離があることが、はっきりと可視化された格好だ。バズはあっても、地盤・組織・候補者育成はゼロ。「選挙は人気投票ではない」ことを証明する典型例となりつつある。

◆40人擁立の“中身”が空っぽ?

都議選に40人以上を擁立するとぶち上げた石丸氏だが、実際の候補者リストは不透明なまま。政治経験も政策知識も乏しい“素人候補”を寄せ集めた場合、「令和の民主党ブーム」どころか、「泡沫政党の再来」となる可能性が高い。

「本人が有名でも、チームが無能では意味がない」という現実が、再生の道にもそのまま適用される。

◆“第3極”の幻想に冷水 支持者の熱狂は急速に萎むか

「再生の道」に一時の希望を託したネット層も、石丸氏の現場軽視・中身のなさ・パフォーマンス重視の姿勢に、徐々に疑念を抱き始めている。もし都議選で1議席も取れなければ、早々に“解散”も現実味を帯びる。

短命ブームに終わるのか、それとも地に足をつけた政党として再出発できるのか。今後の展開は、石丸氏自身がいかに「人気商売」から脱却し、「現場の政治」に向き合えるかにかかっている。

おーら
石丸氏に対してこれまで明言を避けてきたのは、れいわ新選組と同様に「とにかく何かに文句を言っているだけ」の左派的な空気を感じ取っていたからだ。だが今回の支持率データや都議選戦略の“空虚さ”が明るみに出たことで、ようやく一つの結論に至る。

極めつけは「候補者の77%が年収800万円以上、64%が1000万円以上」と胸を張っている点。これはもはや政治というよりも“自己啓発セミナー”のノリで、悲しいほどのエリート主義の演出に見える。しかも年収自体はそこまで高額でもなく、「微妙な成功自慢」のような空虚さが漂う。

この発信を見て「すごい!」と思う有権者が果たしてどれほどいるのか。むしろ多くの人にとっては、「金持ち気取りの勘違い集団」という印象を植え付けるだけだろう。実際、SNS上でも嘲笑混じりの反応が増えつつある。

銀行員出身※という経歴も、元みずほの石丸氏にせよ元三井住友の石破茂にせよ、いまひとつ庶民との接点が見えず、“内側から文句を言うだけの観察者”という共通イメージがつきまとう。石破氏が安倍政権を後ろから撃ち続けたように、石丸氏も市議を“動画で吊るし上げて人気を得た”という意味では似ている。

その点、安倍晋三元首相は財閥企業・神戸製鋼所の社員として現場も経験しており、石破・石丸とは全く異なる「実務・責任の感覚」を持っていたことを改めて感じる。

今の石丸氏と「再生の道」は、人気先行・実務軽視・理念なきエリートごっこという、政治ブランドとしてはもっとも脆弱な形だ。このオリジナル記事が多く読まれれば読むほど、支持率はさらに下がっていくだろう。

※銀行員出身全てがダメなわけではなく長銀とか破綻したり苦労した経験がある人はちゃんと実績を残して活躍している

銀行員がリーダーに向かない“構造的な理由”

石丸氏や石破茂氏に共通する“他人に厳しく、自分に甘い”ような政治姿勢。その根底にあるのは、彼らの「銀行員的思考」に起因する構造的な問題ではないだろうか。

🏦 銀行という組織の本質:「減点主義」と「責任分散」

銀行は、ミスを許さず、あらゆるリスクを回避することを重視する「減点主義」の文化が支配している。新しい挑戦をするよりも、ルール通りにやることが求められ、問題が起きたときには「誰がハンコを押したか」で責任を“薄め合う”構造になっている。

そのため、こうした組織で長く育った人物は…

  • ✅ リスクをとって前に出るより、他人のミスを指摘する方が得意
  • ✅ 責任をとる覚悟よりも、責任の回避と押し付けが身に染みている
  • ✅ 数字や制度には強くても、人間の感情や現場の泥臭さには疎い

という傾向を持ちやすい。

石丸氏の「市議会を晒し上げて支持を得る手法」や、石破氏の「政権に属しながらも常に距離を取り、反対意見だけを述べ続ける態度」は、こうした観察者としての立ち回りに長けた“銀行員的メンタリティ”そのものに見える。

🧍‍♂️「現場感覚」の不在が、国民との乖離を生む

銀行というのは「顧客の顔を見ないでも仕事が回る」世界でもある。数字や書類で評価され、現場の汗や怒号を感じなくても出世できる。一方、政治の現場では、泥水をすすってでも市民と対話し、矢面に立つ覚悟が問われる。

だからこそ、現場で揉まれ、反感を買いながらも前に出続けた安倍晋三氏とは、根本的な政治家としてのスタンスが異なるのだ。

⚠️ 「全ての銀行員がダメ」なのではない

もちろん、すべての銀行員出身者が政治家に向いていないというわけではない。むしろ、バブル崩壊や経営破綻といった苦境の中で「責任を取らされ、改革を断行した」経験がある者は、政治の世界でも信頼されている。

だが石丸氏や石破氏は、そうした困難と正面から向き合ったというよりも、「組織の中で安全圏にいながら、口だけで状況を指摘する役割」に徹していた印象が強い。だからこそ、現場の重みを感じない“軽さ”が目につく。

📉 政治の世界で問われるのは、「数字」ではなく「覚悟」

最終的に、リーダーに求められるのは「どんな時に、誰のために、どれだけの責任を背負えるか」である。銀行で出世した経歴や、年収の高さ、学歴といったスペックの高さではなく、実際に人の期待や不信を引き受けられる“胆力”こそが問われる。

残念ながら、今の石丸氏からはそうした「胆力」は感じられない。むしろ、エリートとしての自己演出と、組織人としての距離感の取り方だけが際立ってしまっている。

おーら
これはチャッピーさんの意見だがあまりに的確な分析なので感心してしまった。
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