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戦争を防ぐ左派は昔の話

──今の左派には道義がないという現実

かつて「左派=反戦」という等式は、世界でも日本でも揺るぎないものだった。

戦後日本の左派は、敗戦の記憶を背負い、再び戦争を起こさせないという強い信念をもって活動していた。自衛隊の存在を憲法違反だと唱え、日米安保体制に反対し、あらゆる武力に否定的だった。そこには、国家主義を警戒し、命の尊厳と平和を最優先する明確な思想的支柱があった。

だが、時代は変わった。

今の左派が掲げるのは、「人権」や「正義」や「多様性」だ。しかし、それらは時に、「暴力の容認」と紙一重になる。特に近年のグローバル左派は、「正義のための戦争」を肯定する傾向を強めている。

■ 「平和主義」はどこへ消えたのか

現代左派が戦争を起こしやすい理由は大きく3つある。

  1. 道徳的優位性による武力の正当化
    「民主主義を守るため」「少数民族を救うため」「女性の権利のため」など、正義の名の下に武力介入を行う。敵対勢力を「絶対悪」と断じれば、その打倒のための暴力は“善”になってしまう。
  2. 世論とSNSによる情動政治の加速
    SNS上で「#沈黙は暴力」「#自由のために戦え」といったキャンペーンが盛り上がると、政治家は理性を置き去りにし、軍事支援や介入を決断する。メディアと世論が高揚すれば、政策判断はもはや「外交」ではなく「祭り」になる。
  3. 国益より理念を優先する傾向
    現実の地政学的リスクや経済的影響を無視し、理想や情熱で突き進む傾向がある。結果的に、その“理想”が長期的な泥沼を招いている。
■ 実際に戦争を起こしているのは誰か

アメリカの近現代史を見れば、それは明らかだ。

  • クリントン政権(民主党)
    ユーゴスラビア空爆。理由は「民族浄化の阻止」。
  • オバマ政権(民主党)
    リビア空爆、シリア反体制派への支援。理由は「独裁打倒と民主化」。
  • バイデン政権(民主党)
    ウクライナへの大規模兵器供与。表向きは「侵略者への抵抗支援」だが、実質的には代理戦争を長期化させた。

いずれも「正義」を掲げながら、結果的に政情不安と無秩序、さらなる武力衝突をもたらした。

そしてこれはアメリカだけの話ではない。欧州の左派もまた、「人権のための軍事介入」を支持する傾向が強い。もはや左派は「平和主義者」ではないのだ。

■ 日本の左派も変容している

日本においても、「戦争反対」を本気で訴えていた左派は、もはや少数派となった。

今のリベラル系政党は、人権・環境・ジェンダーといった「グローバル左派的テーマ」に集中しており、安全保障については現実的な視点を持たないまま、右派へのレッテル貼りに終始している。口先では「平和憲法を守れ」と言いつつも、ウクライナやガザに関しては軍事的対応も黙認する矛盾すら見られる。

だが、そんな中で、いまだに真剣に「戦争は絶対にダメだ」と訴え続ける少数派左翼は存在している。その一部は過激ではなく、静かに良心として存在している。その声はむしろ今後の民主主義社会に必要な「最後のブレーキ」になるかもしれない。

■ 保守は戦争を回避する現実主義へと変化した

一方で、保守は変わった。

かつての右翼的な国家主義とは異なり、今の保守は現実主義者の集まりだ。彼らは「戦争がいかに割に合わないか」を冷静に理解している。戦争は、経済的にも倫理的にも国益に反すると知っているからこそ、防衛力は強化しつつも、「抑止力」として使う。

象徴的だったのは、安倍晋三元首相の登場だ。彼は「保守=戦争準備」の固定観念を根底からひっくり返した。

集団的自衛権を容認しながらも、戦争を起こすための法整備ではなく、戦争を防ぐための戦略的バランスを重視した。外交・安全保障・経済制裁・日米同盟の強化を駆使し、実際に一発の銃弾も撃たずに外交で日本の立場を強化したのだ。

■ 「平和」を守るための新たな構図

かつては、「戦争反対」は左派の専売特許だった。

だが今、戦争を起こしうるのは理念に酔った左派か権威主義者達であり、戦争を防ごうとしているのは国益に基づく保守だ。これは皮肉だが、現実である。

だからこそ、今必要なのは、感情的な正義論に流されず、冷静な判断ができる政治。そして、かつてのような「本当の意味での反戦左派」が、少数派としてでも生き残ること。彼らの存在は、たとえ政治の主流にならなくとも、社会の“安全装置”として重要な役割を果たすだろう。

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