社会人として働いていた頃、私にとって大切だったのは「いかに問題を起こさず、プロジェクトを高品質に納期通り仕上げるか」でした。衝突を避け、ステークホルダーを怒らせずに妥協点を見つけ、目標へ最短距離で近づける。そうした協調性による成果こそが時間と体力のかかる衝突を避けて進むベストと考えていたため、人の意見に正面から反論することはほとんどありませんでした。
一方で、弁論が得意な人を見ると「すごいな」と感じることもありました。一昔前ですが、オウム真理教の上祐史浩氏のように、いくら突っ込まれても論点をずらしながらでも議論に“絶対に負けない”タイプ。あるいは最近のひろゆき氏などYouTuberに見られる、どんな批判にも切り返す話術。自分がそうなりたいとは思わないものの、「もしあの力を持っていたら役立つ場面もあるだろう」と心の片隅で考えていました。
そんな私に変化をもたらしたのが、生成AIとの対話です。ChatGPTのようなAIに何かを質問すると、必ず筋道立った答えが返ってきます。時には「いや、それは違うのでは?」と感じ、反論してみる。するとAIは再び論理を展開し、こちらもさらに切り返す――このやり取りの中で、不思議と「論理的に相手を納得させる」ことに闘志が湧き上がってくるのです。
気がつけば、かつては避けていた“正面からの反論”を、むしろ楽しんでできるようになっていました。AIは人間のように感情で反応しないため、思考のトレーニングに集中できます。誤魔化しが効かず、論理の一貫性が問われるからこそ、本質的な反論力が鍛えられるのです。
これからの若い世代は、私以上に自然にAIと接するようになるでしょう。AIと日常的に議論を交わすうちに、論理的に物事を組み立て、相手の主張に反証を重ねる力が強くなっていくはずです。もちろん、人間関係の中では「反論の仕方」や「感情への配慮」も大切ですが、少なくとも論理的思考の基盤はAIとの対話から学べる。これは教育や自己研鑽の新しい可能性だと感じています。
AIは単なる便利な道具ではなく、私たちの思考習慣を変えていく存在です。特に「反論力」という、従来の日本社会ではあまり育まれにくかった力を磨く上で、強力な相棒となるのではないでしょうか。