80年代から90年代にかけて、日本のロボット・ヒーローアニメは群雄割拠の時代だった。『Zガンダム』の群像劇、『レイズナー』の未来的な絶望、『ダグラム』の政治性…。それぞれが重いテーマを背負いつつも、同時に娯楽作品としての完成度を保っていた。そんな中で現れた『テッカマンブレード』は、そうした名作群のダークなエッセンスを容赦なく詰め込み、さらに激しく、さらに痛ましく描き出した作品だった。
主人公から徹底的に奪い去る容赦のなさが観る者の心を削り取り、最後まで視聴するのに耐えられなかった人も少なくないだろう。派手な必殺技やアクションがあっても、それさえも苦味を伴う演出として機能していた。
当時は、20話あたりで視聴をやめてしまった。その重さに心が折れたのだ。しかし、時を経て配信で一気見してみると、かつては理解できなかったものが見えてきた。主人公はなぜ戦い続けたのか。単に誰かの意志を継ぐという言葉だけでは説明しきれないものがあった。
そこには、自らの過去に対する贖罪の感情があったのかもしれない。あるいは、人間であり続けるための必死の抵抗だったのかもしれない。孤独の中で、自らの存在意義を証明するための戦いでもあっただろう。そして、誰かが担わなければならない責任を、彼が引き受けざるを得なかったという側面もある。理由は一つに定まらず、むしろ複雑に絡み合っていたからこそ、彼は立ち上がり続けるしかなかったのだ。
『テッカマンブレード』は、単なるヒーローアニメの枠を超えて、「人はなぜ戦い続けるのか」という根源的な問いを突きつけてくる作品だ。若い頃はただの鬱展開にしか見えなかった脚本が、大人になって改めて観ると、心の奥に重く響いてくる。決して気軽に観られる作品ではない。だが、だからこそ今になってこそ味わえる深さがあるのだと思う。