退職後に出逢えてよかった5つのこと

退職して人よりも少し早めの第二の人生を始めて3年半が経過した。

平々凡々とした生活を送るつもりだったが癌になったりコロナ禍で半年近く旅行すらできない日々が続いたり機能性ディスペプシアになり出かけるのも億劫になったり。

世の中ままならないものだ。

その中でもこれに出会わなかったら人生違う分岐になっていたかも?

というものを紹介していきたい。

過呼吸との出会い

コロナ禍でワイドショーが連日コロナ情報をリピートしていたのを放射線のように浴びてしまったおかげで4月におそらく風邪のような症状とコロナ鬱が同時に襲ってきて寝込んだ。

その症状の中で初めて過呼吸になった。

過呼吸になった時には予備知識が無かったのでここで死ぬと考えた😩

未経験者には分からないと思うがマジで息が出来なくなる。

生まれてから死を目の前に意識したことは初めてだ。

事故といえば若い頃に正面衝突を経験したが幸運にも互いに柔らかいホンダ車だったおかげかフロントはかなり逝っちゃったが搭乗者はどちらも無傷だった。

小さい頃にビルから転落しそうになったがまともに自我が無かったので親から聞いただけで恐怖心も残っていない。

大病といえば大腸癌くらいであれも当初は大きなポリープといわれて手術後に生検して癌細胞が見つかったのでその後に転移は気にしたものの検査の結果特になしだった。

持病も当初はキツかったが会社を辞めてしまえばなんとかなると思いつつ8年働いた。

大きな事故に遭ったこと死にそうな疾患になったこともないので死を身近に感じたことはなかった。

過呼吸で死を意識したお陰で遺言状も書いたしあそこで死んでたと考えればいまさら他の事なんて大したこともないケセラセラと全てのストレスが減った。

若い頃は楽観思考だったのが仕事の重責でリスク回避を心がけているうちに悲観主義になったのが若い頃に引き戻されたようだ。

去年に比べてもかなり大雑把になっている。

旅行が無いので最近必要なモノでもないのにとりあえず買ってみようとお金の使い方が大雑把になってきたのは修正した方がいいか。

楽観主義も良し悪しで胃の調子が悪く機能性ディスペプシアの症状が出ているのに少しよくなると翌日には気にせず暴飲暴食に戻るのでいつまで経っても治らかった。

(電アシ)自転車との出会い

自転車は子供の頃から乗っていた。

乗っていたが大人になって移動は電車か公共交通機関になった。

それから30年以上が経過して電動アシスト自転車を買ってから走るのが楽しいことに気がついた。

旅行先でレンタサイクルでも楽しいし地元を買い物に行くだけとかポタリングで20kmほど走り回るのも楽しい。

若い頃はクルマを運転するのも好きだったが今は必要最小限しか乗りたくない。

なぜこれだけ自転車が好きなのか自分でもわからないのだがひとつ考えられるのが自転車に乗っていると思考を停止できるのがいい。

以前にもどこかで書いたが起きている間何かを考えている体質で脳が常に動いている。

その中で思考がほぼ止まっているのが自転車に乗る時と小説を読んでいる時だ。

小説はさすがに完全停止しているわけではないが自転車に乗っている時だけはあれに近い。

座禅を組んで瞑想状態、無心だ😌

クルマだと余裕がありすぎて普段通り思考してしまうが自転車の場合歩行者がいないところを走っていればまず無心で走れる。

せっかちなのでウォーキングよりも自転車で走る速度が自身の精神に心地いいのだろう。

だから脳の負担を軽減するために自転車に乗りたいという欲求が生まれていると分析している。

平坦な道ならば普通の自転車でもいいが周りに坂が多いので電アシ自転車がちょうどよかった。

自分の精神安定剤を見つけたと思っているのでこれからもポタリングを続けたい。

あと旅行先でオープントップバスに乗りたがるのも同じ理由だ。

なろう小説との出会い

最近のメディアリミックス化の登竜門やアニメの原作の一角を担っている「なろう」小説だ。

昔は小説作家になろうとしたら小説雑誌の賞かスポンサー付きの賞を取るか直木賞、芥川賞を目指すか小説家の弟子か記者からノンフィクション作家という道だ。

従って新聞社、出版社、審査員の思想が色濃く反映し偏った作家しか世に出ていなかった気がする。

はっきりいえば左巻思想のお眼鏡に叶った作家だ。

どちらにも傾かず若しくは思想を隠して執筆している人や百田氏や石原氏のような右巻きの人もいるが彼らは出版業界では特異な存在であり絶対メディアは取り上げない。

これで言論の自由とはお笑い草だ。

痛快だったのは「進撃の巨人」で無かったことにできないくらい人気が出てから日韓問題を彷彿とさせる思想的な漫画と明らかにしたのは出版業界から見ればとんでもないテロ漫画に見えるだろう。(朝日の記者の痛快を引用させてもらった)

こんな手があるのか😏

しかし最終回を迎えないとテーマが判明せず島の人間側に寄っているわけでもないので左派右派どちらに対してもアンチテーゼを唱えているかも知れない。

悪くいえば下手に両者にバランスを取ったのが人気が急落した原因ではないだろうか。

そんな面倒な企てなどしなくても「なろう」は自由に誰でも書けるし誰でも読めるオープンな世界が作られており自由な思想で書かれ作品内に流れる作家の思想も多様化している。

主人公が引きこもりとかファンタジーな世界に転生して、などある程度のフォーマットはあるが普通の世界観を描いても問題ないし設定は自由だ。

出版社が目を光らせていないので思想も自由だ。本当のFreedom of thought.

その中で支持を受ける作品が人気を博してメディアリミックス化となるこれまでと違った道が生まれている。

こんな小説を若者が読んでいけば日本人の思想ももっと多様化していくのではないかと考えている。

思想の多様化というといいことばかりのようだが国をまとめていく上では障壁になる。

多くの国では宗教を以って国民を統治したり隣国などは反日思想で団結させたりしているが日本は無宗教者が多いので思想は簡素にした方が行政は楽だろうが何を求心力とするのかを考える事こそ国のお仕事だ。

なろうのとっかかりはオーバーロードというRPGの世界に入ってしまうアニメを某おっさんYoutuberが薦めていたからで小説を読み始めたのは退職後だ。

この世界は商業小説にない面白さがある。

もちろん編集者などの手が入ってないのでありえないほどつままらないストーリーもある。

途中まで面白いと思ったが急激に萎えて挫折した小説も数知れず。

ファンの方には申し訳ないが前述のオーバーロードも中盤で挫折している。

長編を完走できたのは片手の指で数えられるほど。

発行部数を稼ぐ目的で書かれた商用小説はどうしても最大公約数に受け入れられる振れ幅のストーリー作りになる。

だから民衆全体に評価される。

一方でなろう小説は自分の好きな事を好きなように書いているのでハズレも多いが商業小説では感じなかった価値観が物凄く近いと感じる作家がいる。

そんな感性があう作品を見つけるのが楽しい。

一方で商業ベースの小説と違って振れ幅が大きいので面白いと評判を聞いて読んでも序章で投げ出す作品も数知れず。

商用に比べてストライクゾーンがすごく狭いが当たればホームランみたいな感じだ。

なろう小説はオススメを聞いて読むのではなく色々読んで自分自身を探す旅とも言える。

自分はストーリーの整合性より面白さや伏線のうまいはり方と回収の妙技に重きをおく。

面白いと取り上げられた作品を読んでも作者の底が知れると途端につまらなくなる。

伏線が上手いと聞いても全く合わない作品もあれば酷評されていてもハマる作品もある。

登場人物がワラワラ出てくるか対立軸が多いストーリーが好みだ。

設定・カテゴリーだけならこんなところだがそこに作家の感性が含まれる。

商業小説では見つけられない新しい自分の価値観を再確認する事ができた。

もちろん退職すると活字に触れる機会も減るので文字を読むのにもいい。

オートミールとの出会い

オートミールを半年以上主食にして自分の場合は白米や小麦粉が毒だったのではないか?と本気で考えている。

オートミールを食べて何キロ痩せたという記事や動画が躍る中で逆じゃないの?と思う。

今や白米や小麦粉が肥満製造食品になっているだけではないか。

添加物が悪いだの動物性脂が悪いだの色々あるが白米を食べ続ける危険性についてはこれまで議論された記憶がない。

遠い昔から白米が日本の主食だったと印象付けられているかもしれないが昔はひえやあわや麦を混ぜた雑穀米だ。

白米食べるなんて贅沢していたのは金持ちか武士以上の一握りの人々だった。

そして昭和以降にようやく食生活も豊かになり白米が当たり前に食べられるようになった。

今や小麦粉を使ったフワフワなパンやデザートやお菓子が溢れている。

そんな中で白米を好きなだけ食べ続けたらジムや運動でカロリーコントロールをしないと体脂肪率の維持なんてできない。

健康には腹八分目と言われるが食欲という欲求がありそこに食べ物があれば大半の人が食べてしまう。

だったら満足できるまで食べられる主食で肥満にならなきゃ国民の健康を守ることもできる。

飽食の時代ならその時代に合わせて主食も変えていくべきではないだろうか。

国が挙げてオートミールを主食に強制する必要もないが小さい頃から給食などでオートミールをたまに出して慣れておくのは今後の日本人の健康のためにも必要だ。

とまで思うほどに食生活にオートミールの存在は大きい。

旅行との出会い

最後は旅行だ。

退職してこれまでのべ29箇所に旅行している。

札幌、バンコク・パタヤ、仙台、福岡・香港、苫小牧、ペナン島、バンコク、京都、浜松、台北、福岡、札幌(1カ月)、バンコク、バンコク・チェンマイ(1カ月)、バンコク、福岡、熊野古道、松山、台北、札幌・新潟、バリ島、しまなみ(松山・尾道)、中津川、函館、京都

元々嫌いではなかったが現役時代は役職を持たず責任が軽い時代までしか旅行はできなかった。

物理的な問題というより精神的な理由だ。

それが半移住をしようと考えたのをきっかけに旅行漬けになった。

辞める直前は辞めて何をしようなんてプランはなく、只々のんびりしたいと考えていた。

性格は社交的にも振る舞えるが元は引きこもり気質なのでダラダラしていても問題ないと思っていたが適度に環境を変えないと精神的に辛いことをコロナ禍で理解した。

これまでがん手術後とコロナ禍前半を除き月1ペースで旅行に出かけていたのも自転車同様に精神安定剤になっていたようだ。

やってみた趣味は多岐に渡るが飽きっぽい性格なのである程度続いたのがゴルフとジムカーナとスキーくらいであとは道具を買ってすぐに飽きて辞めちゃうを繰り返してた。

その点で旅行は毎回訪れる場所が違うので飽きない。

あと次に行く場所を決めるのも面白い。

行き当たりばったりなのでツレと行くときくらいしか旅程は作らないが作る時はあーだこーだと時刻表と睨めっこするのも楽しい。

もちろん旅行先のポタリングも無心になれる。

足腰とお金が続く限り旅行を続けたい😊

最後に

出逢いがテーマなのに人との出会いが無いのが自分らしい。

思いつくまま5つ挙げてみたがこの4つのいずれかに行き着く。

  • 自己同一性
  • 死の存在
  • 健康の追求
  • 心の安寧

小説を読みながらアイデンティティを確認しているなどと考えていたわけではないが商業小説に比べて尖った部分を平準化していない分こんな嗜好があったのかと自分の価値観も再発見しやすい。

死を仮想体験して無に還る覚悟を感じたのは今後生きていく強みになる。

もちろんギリギリまで健康寿命を全うしたい。

そのために人間ドックや健康診断も必要だろうが健康を維持するには食生活が一番だ。

ただ消化の悪そうなオートミールを朝昼晩と食べていると胃もたれで機能性ディスペプシアになってしまうのでバランスも大切だろう。

身体がいくら健康でも仕事を辞めても何かしらのストレスがかかってくる。

残り数十年を楽しく生きるためには心穏やかにするための努力をすべきだ。

だから自分のように元々目標の無い人にとって無心になれることや一生懸命になれることを見つけるのは働いていようが退職しようが必要なんだろう。


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