無職という肩書き

退職した当時数年はドヤ顔で職業『無職』と名乗っていた。

国などの厄介にならず亡くなるまで無職で生活できれば最強な職業だと考えていた。

本当の最強職はDQとか遠山の金さんの「遊び人」だと思うがそこまで放蕩な生活は送っていないし烏滸がましい。

しかしここ何年かで自称「無職」が「投資家」に変わり、

気がつけば最近は「自営業」としている。

もちろん公文書や私文書では「無職」と記載している。

下手をすると何かのきっかけで職業偽称になりそうだし。

自称「自営業」は最低限必要なコミュニティの中だけ。

この変化には日本特有の文化があるのかもしれん。

平日真っ昼間には家にいない = 働いている = 真っ当な人

という意識だ。

投資家という肩書きも胡散臭いイメージが強いのか庶民にウケがよくない。

テレビやYoutubeでも自称投資家で本当に稼いでいるなら世に出てきて運用指南なんてしなくたって稼げているはずなのにわざわざ出てきて有料のアドバイザーやっている人ばかりで怪しいというイメージも付与されている。

(もちろん世に出てこない投資家が大半だが世間に見えない人は存在しないも同然なのだろう)

真面目な人やお堅い職業程その意識が強い気がする。

投資も下手な労働よりよほど覚える事が多くリスクも高く脳を使うのだがやってみないけりゃわからないんだろう。

歴史を遡れば日本人は元来それほど働き者なDNAでもないと考えている。

その怠け者がみんな真面目に一生懸命働いているのが正しいという同調圧力が素直ではない世の中を作っているのではないだろうか。

セミリタイアをして海外へ移住した人達の動画の中にも移住理由が海外にいると周りの眼を気にしないので気楽という意見が散見される。

大抵の国は日本のような働き者が正しいという認知バイアスは少ないようだが更に外国人はその対象にならないので気が楽らしい。

たしかに日本で暮らしていて若い外国人が近所に住んでいて真っ昼間からふらふらしていようが誰も「無職なの?何してるの?」と不審がる人も少ないだろう。

金持ちが海外からやってきて日本で悠々自適な生活でもおくっているんだろうと勝手に解釈する。

逆に日本人が海外にいっても同様か。

しかしまだ働き盛りの日本人男性が日本で昼間からふらふらしていればイメージが悪いらしい。

例えば病院などで会話していても「無職」というか「自営業」というかで同じ医師でも扱いがかなり変化する。

医者に限らず近所の人相手でも無職か自営業の設定如何で会話のニュアンスが異なる。

ヒッキーとはいえそれなりに他人とはコミュニケーションを取らなきゃ生きていけないし最近は地域の役員をやったりしていると相手に信用された方が話を進めやすい。

要は効率的になる。

面倒なので仕事だろうが地域の仕事だろうが早く終わらせたいのだ。

年寄り相手なら某企業をスピンアウトしてその知識を使って自営業をやっているといえば「最近はテレワークも多いし自宅にPCさえ有ればできる仕事みたい」と思い込んでくれて何で稼いでいるかと根掘り葉掘り聞かれることもない。

会話の中でもそれだけで相手が納得して安心するのがわかる。

一方で無職といえば相手が身構えて色々推測しているなという心境がみて取れる。

辞めた当時はそれはそれで面白かった。

世の中は多様性だ何だと言いながら定年前の元気な男性は皆んな同じように定年までは働くべきという画一性を求めてくる。

あくまで男性だけに求めるものなので差別のような気もする。

こういうのも声を上げてくれないかなぁ、ジェンダー平等運動家の方々w

他人に会うことが少ない生活なのでまだ大した問題でもないが退職後も日々色々なコミュニティをまたがって生きている方だと早期リタイアで自称の職業を考えておいた方がいいのかも。


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