無職生活6年経過で感想(前編)

会社勤めを辞めて無職生活を続けて6年が経った。

毎度のパターンでリタイア後の感想を前編はフリーフォーマットで書いて後編は規定の項目別に書いていく。

60歳超えて定年退職していれば一般的には老後生活となるが50歳前に辞めての6年間なので無職生活が妥当だろう。

Twitterのタイトルも@リタイア6年目から@リタイア7年目に変えた。

もうここまで経過してリタイア何年というのも違和感が強いが10年までは続けるかな。

そして6年といえば小学1年生なら入学してから卒業するまで、新入社員なら新人から中堅に差し掛かるまでの月日でそれなりに長い。

退職した日からそれほど経ってしまったかと実感している。

これまでずっとデフレか横ばいが続いてきたが昨年あたりから主に円安によるインフレ傾向気配が出てきた。

円安と長い間の量的緩和をキッカケにしてデフレを突破してインフレに突入していくのかそれともどこかで失速するのかはわからないが、もし退職前にインフレの兆候が出てきたら辞めていない。

いや辞められなかった。

辞めていなければPET-CTを受けなかったので大腸カメラ検査も受けなかった。

すると当時すでに4cmあった癌は症状が出るまでか若しくは退職して自費検査するまで気がつかなかったので相当深いステージに突入していたか転移していただろう。

考えてみれば入社してから辞めるまで続いたバブル弾けてからの呪いのようなデフレーションが続いたおかげで助かったようなもの。

人間万事塞翁が馬だ。

癌の手術も体の負担は軽かったしこの6年間もあっちが悪いこっちが悪いと調子が悪い日々もあったが総じて楽しかった。

こういう書き方はフラグになりそうだが、まあいいや。

長いような短いようなどちらとも取れない月日だった。

この6年間があと3ターン経つと健康寿命も尽きてしまうと思えば短いと感じるし仕事関係者で顔は思い浮かんでも名前を半分くらい忘れていると考えれば遠い昔のような気もする。

時の流れは結局何を基準にするか次第だ。

クソ長いコロナ禍に好きな旅行も制限されてしまったので働いていた方がお得だと考えたこともあった。

この6年間の出来事はやはり癌手術とコロナだがその次に思い浮かぶのはジムと食事で体重減少で体調がよくなったことと機能性ディスペプシアで胃が大変になった相反することだ。

何をするにも健康というのは大切だとつくづくと感じている。

逆に言えば健康以外に大して気がかりがないのは幸せなことだ。

健康でさえあればインフレやら資産の目減りなんぞ最悪は金儲けを探せば生きていけるので大した話でもない。

人が生きていくためには「生き甲斐が必要」という人がいるがそれは目的達成型の価値観で目移りしやすい天命追求型は下手に生き甲斐を前提に仕事を辞めた第二の人生を生きていこうとすれば息苦しくなる。

旅行以外に決まった趣味も無いが好きなことを毎日やっており暇だーと思う日は数少なかった。

ぼーっとしているのが性に合わないのだ。

お陰で働いていた頃と比べて脳が大して老化した気配も感じない。

このあたりは発達障害のひとつの特徴の多動性で興味が次から次へと移り変わる性格なのであまり参考にならないかも。

どこまで続けられるかわからないがこの生活が6年続けられたので健康さえ続けばあと20年でも続けられるだろう。

早期退職して大変だと思うのは目的意識の強い目的達成型で生きてきた人達だ。

手段は二の次で強引に目的を達成させていたので自分自身も目的達成型かと思った時期もあったが「面倒なのでさっさと課題を片付けたい→片付けるための最短ルートを考える→そのルートは恒久解決で無くてもステークホルダーが概ね納得すればOK」という思考だった。

おそらく目的達成型は自分の望んだゴールに到達できるとドーパミンがプシュードバーッと溢れ出るのだろうが自分はさっさと厄介ごとから逃れて人より早く成果を上げ楽をしたいだけだった。

先行逃げ切り型ね。

悪くいえば要領の悪い目的達成型はサラリーマンとして会社で稼いだり出世したり家族を養って子供を立派に育てたりという目的を終えて次の目的を見つける前に辞めてしまうと早々とボケ老人になってしまわないだろうか?

例えば退職同期の方で普通に定年退職された方は何名かで飛行機を作って飛ばすと夢を語っていた。

もちろん飛ばすまでの設計、資金調達、試作、工場調達、材料調達、組み立て、試験、認可、飛行設備確保とかやることはいっぱいあるだろう。

フライトに成功しても飛行時間を伸ばしたいとか安定した速度を出したいとか2人乗りに改良したいとか亡くなるまで夢が尽きないがそんな壮大な生きがいを持っていて退職後に邁進できる人は少なそう。

ちょっとした趣味をなけなしの生き甲斐にしてしまうとその趣味仲間が離脱した時やインフレで続かなくなった時や環境の変化で途端に目標を失ってしまう。

これは趣味の継続性で言及したことがある。

特定の目標が生き甲斐でそれに向かって突き進んでいる人ほど目標を見失った時が怖い。

そう考えてみるとお気楽に現状をそのままに楽しめる天命追求型の方がリタイア生活に有利だ。

もちろん天命追求型でも目的を達成して全く嬉しくないかといえばそうでない人もいるだろうし目的達成型でもその日暮らしな生活も好きな人もいて図のように自分のポジションがどの辺りにあるかを知っておくのも大切かも。

自分の場合は時と場合によって綿密な計画と目標を立てる場合もあるので天命追求型の極右では無く少し左に寄ったあたりだろう。

もし目標達成型の極左に位置するなら次の人生の目標が決まるまでリタイアなんてせず今の仕事にしがみついていた方がいい気がする。

最近は旅行を計画せずともそこらへんを自転車でうろうろしているだけで幸せを感じる。

晴れていると気分も上々で買い物やちょっとしたお出かけに自転車に乗って外部音が聴こえるオープンイヤホンでスタレビの木蘭の涙やキンモクセイの二人のアカボシや高田みづえの硝子坂、あいみょんの裸の心、ロードオブメジャーの大切なもの、YOASOBIのアイドル、AGの恋文などを口ずさみながら初夏の風を切って走り、工事現場でおっちゃんがクルマを停めて誘導してくれたら「ありがとう!」と言い、道で疲れて休んでいる婆ちゃんが居れば「大丈夫?」と声をかける普通の生活、これが楽しい。

それだけで幸せホルモンのオキシトシン、セロトニン、ドーパミンが溢れてくるのを感じる。

北欧の幸福度の謎で書いたフィンランド人の幸せ基準と一緒だ。

退職直後から何も変わっていなかったのだが気がつくのに6年かかっている。

これはテレビを捨てたことでまともにモノを考えられるようになり、それに気がつくキッカケになっている。

一方で仕事や学業は決められた目標を期日に完成させないと話にならないので天命追求型でも目的達成型風に小さい頃から仮面を被り続けて生きている。

だから自分自身がどちらかというのが案外わからない。

判断は小学校の夏休みと冬休みの宿題を一定の計画を以て進めていたか、休み明け寸前に一気に仕上げた、若しくは親に急かされて宿題をしていた、若しくは毎度間に合わず教師に怒られていたかで決まっていそう。

いくら現在きっちりしている性格といっても幼少期の環境と遺伝子に刷り込まれた性格がそうそう簡単に変わるはずもない。

何とか絞り出してここまで感想を書いてみたが今の生活が日常化して書くことも思い浮かばない。

10年の節目まで続けようと思ったが難しいかな。

それ以前にグーグルに広告を剥がされたのでレンタルサーバーやらドメイン維持費を自腹で払ってまでも続けたくないのでこのブログもここ数ヶ月が潮時になるのかも。


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