セクシー田中さんの原作者が亡くなられた責任は

まずは原作者の芦原妃名子さんには心からお悔やみを申し上げます。

セクシー田中さんの原作者が亡くなられた責任について考えてみたい。

責任追求が出来なくなる社会は腐敗していく。

そしてここからはあくまで個人の意見だ。

世間では脚本家の態度がどうのとか日テレの対応がどうのと物議を醸している。

もちろん日テレが正しく調査して報道できないのはポンコツオワコン業界なので仕方がない。

今の矛先は脚本家の相沢氏が原作者を軽んじていたからだとかテレビが漫画を売ってやっているからという態度が原因とかそんな噂が主流だ。

最近のアニメの制作はSHIROBAKOというアニメ制作現場を描いたアニメでのみ見知っているが原作者は神様扱いのようだ。

しかし昔のアニメは原作改変に次ぐ改変で原作の跡形もない作品が多くあの宮崎駿の名作と言われるルパン三世カリオストロの城だって原作者があれはルパンじゃないという作品が罷り通っていた。

最近のアニメを観るとよくここまで原作に忠実に描けているなと監督や脚本家に賛辞を送りたくなる作品が多い。

これはアニメ制作会社が増えてきてシーズンあたりのアニメの本数も増えその一方で良作の漫画やなろうの原作の奪い合いの競争原理によって進化したんじゃないかと考えている。

SHIROBAKOでの原作者様の意向を重んじる内容は事実なのだろう。

一方でテレビドラマは昭和からいまだに何も変化していない。

アニメも同じだが脚本家のオリジナルドラマと原作付きドラマがあってもちろん脚本家はオリジナルをやりたいけど制作側の都合で原作があればそれだけファンが寄ってくるから作りやすい。

そしてテレビドラマの脚本家は原作付きを受けた場合にどれだけ自分のカラーを出せるかに注力する。

考えてみればわかるが原作に忠実に描けば描く程自分の手柄は失われて原作者の名声だけが上がるわけなのでオリジナル作品の声もかかりにくくなるかもしれんとテレビの脚本家は考える。

自分のようによくここまで原作に忠実に作った!素晴らしい脚本力と演出力なんて考える奴は少数派だろう。

本来はテレビドラマもアニメのように出来るだけ原作に忠実に描いて、アニメと違い実写化が難しいところだけを原作者の許諾を得て改変するのがスジだと思うがこのあたりは、依然としてテレビで漫画を売ってやっているという意識が強いんではないかと想像できる。

そして今回の問題は20年前にヤマトナデシコや恋のチカラや大停電の夜にとか大ヒットを飛ばして最近はうーんという作品しか携わっていない大御所脚本家を選んだプロデューサーの責任だろう。

過去の栄光の作品と比較してここ最近の脚本作品を見るとここで一発大ヒットを当ててもうひとはな咲かせたいという気持ちがわからなくもない。

原作付きでも自分のカラーに改変して手柄を脚本家にある程度向くように仕向けるなんてことは生き抜くための手段として持っているのが当然だ。

下手すりゃ原作者の意向なんて知ったことじゃない、テレビ側で押さえつけろよって考えたって業界内側の人ならおかしくない。

その業界で生きているプロデューサーなんてこんな事情は素人の自分より百も承知な人間だろう。

そして原作者の方はとにかく改変されないことを条件に映像化の承諾をしているわけだから原作をできるだけ弄らない実績のある脚本家若しくはコントロールの効く若手脚本家を使うべきだった。

または売れっ子脚本家で名声なんて不要で「いいよ、今回は試しに原作をできるだけ再現して面白くしてみるよ〜」と言ってくれるような人、そんなのいるのか知らんけど。

今回の原因は改変するなという原作者に対して改変して一発当てたい脚本家をキャスティングしたプロデューサーもしくは彼女を推薦した「なにか」のミスだと考えている。

脚本家と原作者が仲良しこよしで無くてはいけない、だから今回の件は「脚本家ガー」なんて騒いでいる性善説を唱えている人や左旋回した人々は世知がない世の中で生き抜くのも大変だと思う。


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