年金改革は国家の責任だ──「小手先の制度いじり」では国民は守れない

2025年5月、自民党は年金制度改革法案を了承し、政府は今国会への提出を予定している。だがその内容を見る限り、これは「改革」と呼べる代物ではなく、むしろ根本的な問題を先送りし、国家としての責任を放棄しかねない法案である。

「基礎年金の底上げ」削除は政治の退却

当初盛り込まれていた「基礎年金の底上げ」──すなわち厚生年金の積立金を活用して生活保障の底を支える案──は、結果的に削除された。主な理由は、保険料を支払う現役世代の不満を懸念したためという。

だが、国家の保障機能とは本来、弱者を見捨てず、所得の少ない層に手を差し伸べることにある。特に、就職氷河期世代のように、構造的な雇用不安の中で適正な年金を積み立てられなかった人々に対し、国が救済の手を差し伸べるのは当然の責務だ。

ここで必要だったのは、目先の保険料負担をめぐる損得勘定ではなく、「国家が守る」という強い覚悟と、思い切った財政出動である。

年収106万円の壁撤廃──中小企業にしわ寄せ

厚生年金加入対象の拡大として、「年収106万円の壁」の撤廃が盛り込まれた。これは一見、制度の公平性を高める改革に見えるが、そのコストは誰が負担するのか。

結果として、保険料の半額を負担する企業──特に中小・零細企業──にその負担が重くのしかかる。人件費の増大は、非正規雇用の抑制や雇用調整の動きにつながりかねず、地方経済や家庭の働き手に打撃を与えるおそれがある。

制度拡大は否定しないが、それを支える財源は企業に押し付けるのではなく、国が直接支えるべきだ。真の改革とは、国家の財政責任を明確にし、中小企業と国民生活を共に守る仕組みを構築することである。

国家による年金保障を再構築せよ

今、日本の年金制度に必要なのは、「民間任せ」や「自己責任」を強化することではなく、国家の関与と支出によって、信頼できるセーフティネットを再構築することだ。

財政規律ばかりを声高に唱える一部勢力の論に従えば、社会保障はどこまでも縮小され、国民はますます不安を抱えることになる。これは保守政治の本筋ではない。

真の保守とは、国家が国民を守るという理念に立脚し、将来世代が安心して暮らせる礎を築くことにある。年金制度こそ、その理念を体現すべき場である。

今こそ、覚悟を示すとき

政府・与党は、「選挙に不利だから」「財源が厳しいから」といった打算に流されることなく、大胆な制度設計と財政投入を決断すべきだ。日本は世界屈指の経済大国であり、国債発行余力も国際的に見ればまだ十分にある。

国民の老後を守るという国家の責務に立ち返り、「改革」の名のもとに矮小化された制度修正ではなく、信頼と安心を取り戻す年金再構築に本気で取り組むときである。


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