TBSが配信したニュース動画「“支援のお米”が届かない…生活困窮者の実態とは」を途中まで観た。
報道の主題は、政府がフードバンクなどを通じて実施している「無償の米配布支援」が、本当に必要とする人々に届いていない、という問題提起になる。
動画の冒頭では、非正規で働きながらも低賃金にあえぐ若者が登場し、「米が届かない」と訴える。
その訴えには多くの視聴者が共感を覚えるだろう。
ところが中盤から、生活保護を受けている別の人物が登場し、「健康上の理由で働けない」と語りながらも、元気そうに立ってインタビューに応じ、「怒れば米がもらえるなら、怒る」と口にした。
ここで、視聴者の感情は微妙に変化するはず。
努力して働いても支援が届かない若者と、生活保護を受けているように見えつつ元気そうな人が「怒る」と語る――この構図は、結果として「不公平だ」「納得できない」という感情を呼び起こしてしまう。
つまり、視聴者の妬みや怒りを誘導する構成になってしまっているのだ。
生活保護は、生活に困窮し、働くことが難しい人を支える大切な制度である。
それ自体を否定する意図はまったくない。
しかし、TBSのこの報道が問題なのは、働く低所得者の共感を引き出してから、視覚的に“元気そうな生活保護受給者”の怒りを挿入することで、不公平感を煽っているように見える。
これは偶然の構成なのだろうか?
それとも意図的に視聴者の感情を操作しようとしているのだろうか?
報道には「伝える責任」と同時に、「どう伝えるか」という編集上の責任がある。
特に貧困や支援の格差という敏感なテーマにおいては、わずかな構成ミスや意図的な演出が、視聴者の偏見を助長しかねない。
生活保護受給者と低収入労働者を対立させるような構成は、社会の分断を生む可能性さえある。
TBSは公共性のある放送局として、「誰の目線で」「誰のために」報じているのか、自問自答すべきだろう。
