「SNSやYoutubeでの切り抜きニュースは、支援や公正を目的とするなら良いが、金儲けやヘイトに利用されるなら規制されるべきだ」──
ある国際大学の教授がそう語り、それを紹介した選挙期間中の関西系テレビ番組の動画※がこの意見に呼応する形で構成されていた。だが、この論調はどこまでもブーメランだ。
※選挙専用動画らしく、すでに削除されていたがおそらくこの主張はどこのオールドメディアでも同じだろう。
そもそも、“切り抜き文化”の元祖は誰か? それは他ならぬテレビ報道や新聞ではないか。長い会見の一部を恣意的に抜き出し、「問題発言」「波紋広がる」などと扇情的な見出しを添えて放送する。それで視聴率を稼ぎ、広告収入を得る。これは金儲けではないのか?
SNSの切り抜き動画が問題視されるのは、「文脈を無視して印象操作するから」とよく言われる。しかし、その理屈が通るなら、地上波テレビの政治報道やワイドショーこそ最も強烈な“印象操作装置”と言える。SNSと違い、反論や異論をその場で発信することもできない。電波という公共財を独占しながら、自分たちは常に“公正中立”であると信じて疑わない構造の中で、批判の対象にはならないという特権意識すら漂う。
さらに問題なのは、「ヘイトかどうか」という線引きの危うさだ。テレビが不快だと感じた意見を“ヘイト”とラベリングすれば、それだけで排除の口実になる。つまり、都合の悪い言論を潰すための“検閲の正当化”になりかねない。しかもその判断を、長年にわたって世論誘導を繰り返してきたオールドメディアが担おうとするのだから、危機感を抱かざるを得ない。
メディアリテラシーが叫ばれて久しいが、それは市民に対してだけでなく、メディア自身にも求められるべきものだ。SNSに対して「お前は偏っている」と糾弾する前に、まず自分たちの編集手法や報道姿勢を見直すべきではないか。
テレビが切り抜きを問題視する姿は、まるで「自分以外が刀を持つのは危険だ」と言いながら、自分だけは平然と抜刀しているようなものだ。もはやそれを“中立のふりをした支配”と呼ばずして、なんと言うべきだろうか。
■ 結論:
SNSやYouTubeの切り抜きニュースが「金儲け目的だから」「偏向しているから」として規制されるべきだというなら、まず真っ先に規制されるべきはテレビだろう。
長年、都合のいい部分だけを切り抜き、大衆を誘導しながら莫大な広告収入を得てきたのは、他でもない地上波テレビというメディアだからだ。
つまり、SNSを取り締まる前に、テレビこそがその“切り抜きの原罪”を問われなければならない。
言論の自由や公正さを本気で守りたいのであれば、規制の矛先をSNSの個人発信者にばかり向けるのではなく、まずは自分たちの足元を見つめ直すべきではないか。