『定年性依存症』を読んで依存症体質だったと知る

面白いタイトルだったので手に取ってみた。

著者はメンタルクリニックの医師で前半は定年前後で依存症にかかった事例を紹介し、後半は定年性依存症の予防と回復について言及している書籍だ。

事例の前半だけ読んで後半は斜め読みした。

そして自分はまさに「依存症」体質だったのか!と気づかされた。

若いころは休日になると水道橋の馬券売り場などに入り浸り有り金使っていた。

当時パソコン通信で競走馬のデータダウンロードして分析や予想なんて最先端なこともやっていたのでそれが理由でパソコンも詳しくなった。

3~4年続けていたがお気に入りだった競走馬が予後不良で亡くなったショックで競馬場から足が遠のき更に他の趣味で忙しくなったこともあり運よく全賭けの競馬から足を洗えた。

馬券は競馬場か場外馬券場で買うべきだというこだわりがありパソコンでオンライン投票できるPATには手を出さなかったのもやめられた要因かもしれない。

その後はキャバクラ通いで朝まで気に入った女のこと酒を飲んで翌日同伴出勤みたいな生活をしていた時期があった。

朝まで飲んでいると1日(1泊)4~5万円使うのもざらでいくら稼いでも金は残っていなかった。

運がいいことに最後はオキニがひとりだけになりその子が地元に帰ったのを機にキャバ通いは付き合い程度まで減った。

酒を浴びるように飲んでいたのでアルコール依存症になりそうだが、酒そのものがおいしいと思ったことがないので溺れることは無かった。

両親も酒好きじゃなかったので遺伝子に感謝だ。

そしてタバコの依存もひどかった。

マイルドセブン(現在のメビウス)を3箱吸っていた。

多い日は4箱で酒を飲むと5箱になった。

今でも覚えている2002年7月のある日酒飲んで寝ていたら息が止まって死にかかって目を覚ましたことがありその日から禁煙をして今に至っている。

あの事故?がなければ吸い続けてどこかで健康被害でも起きていただろう。

今思えば息が止まっていたのはタバコが原因ではない気もするが結果オーライだ。

そして嗜む程度だったパチスロ・パチンコが徐々に依存症に変わっていった。

ピークの三十代後半では土、日は開店から閉店まで、平日も19時には台の前に座っていた。

運がいいことにそこそこ収入もあったので月に車1台分負けても生活できていた。

逆に勝った月も車が買えるほどだったがパチンコ、パチスロで年間勝率が5割を超える訳がないので年間で200~300万円は負けていた。

通算すれば建売1軒分はやられていると思う。

それでも経済的には問題なかったがパチスロ依存症のままだったら貯蓄してセミリタイア生活など夢のまた夢だったし定年後は収入が無くなるので収支のバランスが崩れこの本のパチンコ依存者のように貯蓄もなくして人生破綻していただろう。

パチスロ依存は持病の症状に助けられた。

当時大音量の状態だと自律神経失調症のせいで三半規管がおかしくなりふらふらになり吐き気が伴うのでパチンコ店に入れなくなった。

耳栓やノイキャンのイヤホンなどで何度もチャレンジしていたのだが結局無理で足が遠のくようになり断パチすることができた。

今の技術であれば高性能なノイキャンイヤホンもあるのでパチンコ店に通い続けていた可能性が高い。

時期がよくて運がよかった。

そしてパチスロをやめたころにはSNSゲームのドリランドに嵌っていた。

ガチャガチャの課金ゲーの代名詞のようなゲームだ。

数カ月で30万円以上は課金に使っていた。

パチンコ、パチスロのように勝ったり負けたりではなく課金ゲーは支出しかないのでもっとタチが悪い。

それに昼だろうが夜中だろうがレアキン狩りにフレから呼び出し呼び出されたりするので顧客との打ち合わせ中であっても社内から電話があったふりをして参戦していた。

これはアカンと思いながら続けていたがある日何の理由だったか忘れたが頭にきてグリーのアカウントを削除したのでやめることができた。

アカウントが消せないと一旦はやめても頭を冷やしまた再開していたのは想像に難くない。

当時はアカウント削除を何度後悔した事か。笑

最近はカテゴリーは違えどQRコード決済のPaypayはアカウントの削除すらできないので消せてよかったアカウントだ。

気が短いのも功を奏した。

こうやって振り返ると酒、タバコ、パチスロ、課金ゲーの池沼に落ちるところを自力ではなく他力で避けてきたのは運がいいとしかいえない。

もう一つ運がよかったのは仕事依存(会社依存)には掛からなかったこと。笑

だからセミリタイアできた。

みなさんも依存症の池沼に嵌らないよう楽しいセミリタイアを過ごしましょう&目指しましょう。


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