加害者の「忘却」と被害者の「一生の傷」──フジテレビ問題を通じて見える構造

芸能界やテレビ業界でのハラスメント問題が相次いでいる。

フジテレビに関する性加害スキャンダルは、その最たる例だろう。

仮に報道されているような会社ぐるみの性接待が事実であれば、これは単なる個人の問題ではなく、業界全体の構造的な問題と捉えるべきだ。

こうした問題が表面化するたびに感じるのは、加害者と被害者の記憶の非対称性である。

例えば、過去にいじめやパワハラを受けた人の多くは、加害者の言動を何十年経っても鮮明に覚えている。

一方、加害者は「そんなことした?」「昔の話だろう」と、あたかも過去の些細な出来事のように片付けてしまう。

このギャップこそが、今回の問題の本質ではないだろうか?

記憶のズレが生む「告発」と「否定」

最近の芸能界スキャンダルを見ると、この構図が繰り返されている。

例えば、フジテレビ問題から波及したTKO木下氏の騒動でも、本人は当時のことをうる覚えの状態で謝罪したつもりでも、被害者側からすれば「ふざけるな」となり、結局は全て暴露される流れになった。

おすぎ氏のベロチュー事件も同様で、長谷川元アナから暴露された話も笠井アナが「そんなことはあり得ない」と真顔で否定したのも、加害者側の記憶が曖昧である一方、被害者側は鮮明に覚えていることを示している。

これは決して他人事ではない。

筆者自身、若い頃に職場で顧客の係長クラスから大勢の前で「頭使ってる?」と言われ、頭を小突かれたことがある。

当時は怒りを堪えたが、今でもその出来事をはっきりと覚えている。

もちろん、被害のレベルとしては大したことはない。

しかし、いじめやパワハラを受けたことがない人間ですらこんな些細な事でも30年以上経っても忘れないのだから、本当に深刻な被害を受けた人なら、その傷は一生消えないのは当然だ。

フジテレビ問題が象徴する「業界の体質」

今回のフジテレビの問題が深刻なのは、単なる個人のスキャンダルではなく、会社ぐるみの性加害があった可能性がある点だ。

そして前述の通り加害者側はそれすらまともに認識できていないのかもしれない。

・被害者は沈黙を強いられてきたのではないか?
・長年にわたり黙認され、暗黙のルールになっていたのではないか?
・メディアの力で隠蔽されてきたのではないか?

こうした疑問が湧く以上、「昔のことだから仕方ない」と済ませることはできない。

特に、日本のテレビ業界は縦社会であり、上層部の意向が絶対視される文化がある。

この環境では、「上や先輩が言うことは絶対」「少しくらいのことは我慢しろ」という風潮が根付いている可能性が高い。

ジャニーズ問題のように、一度タブーが崩れると、次々と新たな告発が相次ぐことがある。

今回の件も、フジテレビに留まらず、日本のテレビ業界全体に波及するかもしれない。

「昔のことだから仕方ない」は通用しない

日本では「過去のことを蒸し返すのはよくない」という価値観が根強い。

しかし、性加害のような問題に時効はないし示談しようと消えることもない。

特に、今回のように企業が関与していた可能性がある場合、「当時の価値観だから仕方ない」とは言えない。

むしろ、社会全体で「なぜ長年許されてきたのか?」を問うべき問題だ。

まとめ:被害者の声が届く社会へ

今回のフジテレビ問題は、日本のメディア・芸能界の体質を問い直す契機となるかもしれない。

・加害者にとっては「取るに足らないこと」でも、被害者にとっては一生消えない傷になる
・日本のテレビ業界の閉鎖的な構造が被害を拡大させた可能性がある
・これを機に、業界全体でハラスメントの隠蔽体質を改めるべき

加害者側の「忘却」と被害者の「一生の傷」のギャップがある限り、こうした問題は繰り返されるだろう。

しかし、これからは被害者の声が封じ込められず、しっかりと向き合う社会であるべきではないか。

おーら
おーら
フジテレビの港前社長を生み出した「とんねるず」も現役時代は石橋氏のイジメ芸で人気になったようなもので、やはりフジテレビを、いや日本社会を象徴している。ネットのコメントでよく見るのがフジテレビはバブル期を引きずってイケイケだったのが問題と提起する人もいるが本質はイジメの加害者と被害者の食い違いだと感じている。自分自身も過去に何かやらかしていないか、怨みを買ってしまっていないか少し怖くなってきた。


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